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<木曽義仲挙兵太鼓由来>
治承四庚子年(1180年)9月7日、以仁王の令旨をうけて、27歳の青年武将源義仲は、依田城(現在の丸子町)に平家討伐の旗をあげた。
「軍は勢いによらず、謀を先とすべし、千仭の堤に尺水をさぐりて兵を傾け、万丈の谷に円石を倒して敵を亡くす、皆是謀の賢也」と義仲は称して戦場にのぞんでは常に奇略縦横の軍略を用いた。
この木曾義仲擧兵太鼓は、信濃源氏三千余騎の出陣にあたり、将兵を激励鼓舞し、社前に戦勝祈願をした古事にならった勇壮華麗なものである。

太鼓組曲 「木曾義仲擧兵太鼓」

一部 雲泥水火の撥(うんでいすいかのばち)
出陣の時に打つ太鼓のしらべ。
周の武王が僅か四万余の兵をもって、殷の紂王の大軍70万を撃破し「雲泥水火の敵対」の謀から工夫した太鼓の撥さばきである。
出陣太鼓
ドーン ドーン ドーン 遠く兵を集める大太鼓が強く打ち鳴らされ、遠く近くの信濃源氏が依田城の義仲のもとへ馳せ参じてきます。そして、中太鼓・〆太鼓も加わり、将兵たちは戦勝を祈って激しく踊り、そして出陣していくのです。

二部 へい木葉の撥(へうぼくようのばち)
敵の虚を衝いて、一挙に攻め入り、寄せ合い組み追い討つさま。
あたかも大風に木葉の散る如く、鬨を合わせて進軍する太鼓の撥さばきである。
戦太鼓
陣鉦・法螺の音を合図に、戦闘が開始された。横田河原で平家の大将城助茂を撃破し、続いて牛火攻めの夜襲戦で、平家の大軍を倶梨伽羅峠の谷底へ追い落とした。太鼓はこの模様を激しいリズムで表現しています。

三部 弥勒龍華の撥(みろくりゅうげのばち)
おう!おう!おう!と勝鬨三度。龍華は弥勒菩薩の現れる所。弥勒は仏滅後、五十六億七千万年後にて下生するということを擬し、義仲は平氏を滅ぼし、源氏の世の永きことを、弥勒の下生に例えたもので、戦勝の時に打つ太鼓のしらべである。
勝鬨太鼓
将兵たちは、勝利を収め、勝鬨の声をあげます。そして勝利に酔った将兵たちは、祝宴の場で太鼓を楽しげに打ちならします。永遠に平和であれと。
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